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神奈川県の中郡は、後北条氏の統治時代から続く郡制の単位なり

今は亡き湘南軌道の話で出てきた、神奈川県中郡二宮町。気になるのは、この中郡という郡。何故平成の大合併の時代に郡という単位が残り続けているのか。近隣市町村と合併するとか(湘南市とか、丸く収まる名前じゃない?)、構成する町村(二宮町と大磯町)が市に昇格するとかして、消滅させても良いのではないか。

 

実は、小田原周辺においては、中郡という単位への帰属を自称しているということは少し格好よいことなのである。何故なら、それが後北条氏の統治時代につくられたものだからである。

 

もちろんそれ以前にも郡制は存在した。律令体制があったからね。でも2代目北条氏綱後北条氏の戦国大名化を遂げる過程で、領国にあった旧来の郡をまとめて、西郡、中郡、東郡という素っ気ない名前の単位で扱い始めた。そうすることによって、在来豪族支配の体制を否定するという目論見もあったのではないかと思う。後北条氏自体がアウトサイダーだしね。

 

そうしてまとめられた中郡は、相模川より西、足柄山より東という広い範囲の郡だった。つまり現在の厚木市相模原市の一部なども含まれる。

この中郡という単位は、明治期になって、郡制が改めて施行されるときに復活する。ただし、いささかコンパクトな領域として。現在の伊勢原市平塚市秦野市の領域も含まれていたので、コンパクトになったと言っても十分大きな単位だ。そしてそのネーミングには、後北条時代への憧憬がちょっと含まれていたことだろう。

それが今では2町の非常に小さい郡になっている。何故かというと、他の構成町村が郡を抜けて市制化を果たしたからだ。最初に離脱したのは平塚市。次に秦野市。最後に伊勢原市伊勢原市が抜けたのは1971年なので、以降の40年間2町でやっていることになる。

郡役所は元から大磯町にあるので、その他の町村に脱退されても特に支障は無い。だから大磯町には、最後の1町になっても中郡を守り続けてほしい。実際、最後の1町が守り続けている例は県内でも高座郡、三浦郡とあるしね。

 

 

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