秦野市の4駅のうち、3駅が改名経験ありってなことを前に書いたけど、小田急小田原線全体で見ても改名駅は多い。
たとえば生田駅。この駅は昔西生田駅だった。そして隣の現読売ランド前駅が、東生田だった。何故生田の分際で東西あったのかというと、開通時に駅の設置場所でもめたため。ならば両方作ってしまえという感じ。小田急はこういうエピソードが本当に多いなぁ。
町田駅は、新原町田駅だった。新原って誰なのか?いや、JRの駅が原町田駅だったかららしい。それで新原町田に。でも、ただの町田駅にしたのは小田急の方が先だった。
鶴巻温泉駅が戦時中に鶴巻駅に戻ったのは、戦時中なのにけしからんという嘘のような理由。それでいくと、向ケ丘遊園駅はどうなのだろう?と思ったらこの駅もかつては稲田登戸駅という名前だったらしい。向ケ丘遊園駅になったのは1955年。
小田急の開通記念日(4月1日)だけ昔の名前で運行するとかないかな。