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二天棒の神輿で良く名前が出てくるのは天王系の神社だが

相州神輿の特徴である、二天棒。担ぎ棒が二本しか無く珍しいと言われるのだが、調べると二天棒の神輿は各地に散在する。

二天棒と最も関連するのは、スサノオないし天王さんを祀った天王系の神社。さらに暴れ神輿という比々多神社などにみられた特徴もセットとなっている場合がある。

京都の八坂神社の神輿は、二天棒に横棒が数本渡してあるものなのだが、横棒が二天棒の上に結びつけられて短いため、担ぎ棒としての役割を果たしていない。見方によっては二天棒神輿である。東京都荒川区にある暴れ神輿(神輿振り)が有名な素盞雄神社も二天棒。長野県宮田村の津島神社の「暴れ神輿」は石段の上から神輿を投げ捨てるというものだが、これもやはり二天棒。

とは言え祇園信仰に絶対的に二天棒が結びついているというわけではない。すると、暴れる神輿に構造上の要請として二天棒が結びついているのかとも思えるが、別に相州神輿の全てが暴れるわけではない。

二天棒のメリットについて考える

二天棒のメリットについて以前から考えていたのは、狭いところを通る、または渡河の際に有利であるから二天棒になっているのではないかというもの。実際相模国府祭に参加する各社の神輿は神揃山の上までそれぞれの社専用の通り道を通って登るわけである。このとき、井桁の神輿だとつっかかりやすいので二天棒になったのではなど。

もう一例、極端な例を出すと、高来神社の神輿は春の例大祭高麗山の男坂を登るわけだが、この際井桁の神輿だとやはりつっかかるので不可能であろう。この行事は360年ほど前から存在するというので、機能性のために二天棒が採用されたというのなら、この辺りにも端緒を求められそうである。

渡河を持ち出したのは、やはり国府祭までの各社の神輿の道程を考慮してのことであるが(浜降祭の起源となったのは、神輿が相模川下流に流されてしまった事件であったはず)、そのような前提で見てみると、二天棒の内側に体を入れるという担ぎ方は、担ぎ手が流されにくく、また流れに対しての抵抗も少なくなる担ぎ方のようにも見えなくない。