頓挫する事の多い「湘南市」
神奈川県外の人間からすれば、存在してもおかしくないんじゃねと思われていそうな「湘南市」。これまで計画はあっても、毎度毎度頓挫してきた。
1940年、藤沢町が藤沢市に昇格する際の、片瀬町の参加条件が新市名を「湘南市」とすること。まずここで藤沢町が首を縦に振らず、頓挫したらしい。
ちなみに、藤沢市の施行した1940年から7年後、結局片瀬町は藤沢市に併呑される事となる。なかなか湘南人はドライです。
1956年、高座郡寒川町が茅ヶ崎市と藤沢市に合併を持ちかけ、新市名を「湘南市」としたいと提案する。この頃はまだ高座郡イコール寒川町ではなかった。海老名がまだ見渡す限りの田んぼだった時代。それはともかく、この計画も2市の反対により頓挫。
そして、昨日のエントリで話題に挙げた、平塚市を中心とした政令指定都市「湘南市」の計画。これも結局発起人の平塚市以外の自治体(藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、大磯町、二宮町)の反発強く、また平塚市でも合併推進派の市長が落選したため、空中分解で終わったわけだ。
なんだか呪われているのではないかと思えるほど、「湘南市」は実現しない。「湘南市」を持ちかけられた自治体が拒否すると言うケースが多いのは、どこの自治体も「ウチこそが湘南のドン」という意識が強く、他の自治体が中心となって「湘南市」が成立するなんてとんでもないという思いがあるからではないか。
ちなみに寒川町は単独で市制施行の条件を満たした場合、「湘南市」になりたがっていると言われている。市制施行条件が人口5万人以上。現在の寒川町の人口が4万7千人。だいぶ変な場所の「湘南市」ができることとなるね。
そこで、既に市制に移行している秦野市が、先んじて「湘南市」を名乗ってしまえば良い。寒川町の人口が49990人位になった辺りで宣言しよう。まあ、現在の人口推移から見ると、2050年以降になるだろうと思われるけど…
寒川町の人口が5万人を超えそうになったら、慌てて周囲の自治体が「湘南市」構想の推進派に転向するのは目に見えている。カードを持っているのは寒川町ということだ。もう湘南市の名を冠する施設とかを建て始めて、揺さぶりをかけるというのもよいのではないかな。