思い直してみると、湘南軌道に湘南の名がつくのって、中郡のおかげじゃない?
かつて秦野駅はターミナル駅だった。小田急小田原線と、秦野から二宮に出る湘南軌道の。そんな紹介エントリをこないだ書いた。
湘南軌道の始点があったのだから、秦野は立派な湘南だという持論を展開していたのだが、冷静に考えるとそれはおかしいね(笑)
大雄山線の始点があるからといって、小田原は大雄山ではないよ。
長野新幹線の始点があるからと言って、高崎は長野ではない。つまり湘南軌道と言う名前は、秦野盆地から脱出して湘南の象徴とも言える中郡まで出る路線だったかもしれない。
なにしろ、中郡の大磯町には江戸時代にそこが湘南と呼ばれていたという決定的証拠の碑が残っている。ここが湘南でない事は無い。
かたや、秦野がいつから湘南と呼ばれていたか。絶対少なくとも明治維新の後だよね。
秦野市は湘南ナンバーであるということで、湘南のくくりに入れられる事がたまにある。でも、それは湘南に出るための路線である湘南軌道を根拠として、無理矢理ねじこんでいったという経緯になるのではないかな。高崎を長野にねじ込むがごとき暴挙!