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出雲大社相模分祠

昨日ちらっと白笹稲荷神社の話を出したので、初詣のお参り先選びに勤しむ方もいらっしゃるであろうし、秦野市内のもう一つの大きな社、出雲大社相模分祠について紹介しよう。

出雲大社と言えば、伊勢神宮とともに遷宮の年を迎え、メディアなどでも大々的に特集されることの多い、ホットな社である。

メディアが言うには、パワースポットでなおかつ縁結びの社であるらしい。前者パワースポットについては、神社というものは全てパワースポットなのではないかという疑問ありだが、後者の縁結びの社ということについては、一応由緒のある話で、江戸時代のあたりには既に言われていたことらしい。

 

さて、この出雲大社だが、全国に分社がどれほどあるかというと、実はそれほどあるわけではない。さらに、全国の分社の歴史は、明治維新以降の新しいものとなる。江戸時代までの出雲大社は、杵築大社と呼ばれていたため、出雲大社という名前で分祠を行うことは不可能なことである。そして明治以降に行われた出雲大社の分祠は、出雲大社教と呼ばれる国家神道ではない、教派神道の教団によるものだ。

 

教派神道というと、現在新興宗教と呼ばれる宗教団体も含む神道13宗派の総称だ。開祖の神懸かり的神託から生まれ落ちた、生粋の新興宗教もあるにはあるのだが、神道を国家宗教として体系化、組織化する過程で組み入れることが難しくなった、地方の信仰なども含まれる。たとえば、秦野市にも関係ある扶桑教というのは、富士山信仰のことだ。

出雲大社教というのは、富士山信仰のように、出雲大社を頂点として全国に散らばっていた信仰形態・組織というものを国家神道から切り離したものであり、出雲大社の元宮司が職を辞して管長についたという経緯からもわかるように、出雲大社と密接な関係をもつ宗派ということになる。それで、出雲大社の分社というのは、この出雲大社教による分社。

 

ということもあって、出雲大社相模分祠の歴史はかなり新しい。明治21年(1888年)に明治期の篤農家、草山貞胤によって秦野に祀られ、さらに現在の場所に遷座したのが昭和50年(1975年)。境内は新しく、鳥居などがどことなく南国風である。

秦野駅と渋沢駅の中間より、わずかに秦野駅よりに位置する。白笹稲荷神社との両参りも可能な距離であるかもしれない。

詳しくは、Flashなど用いたホームページ(音が出るので注意)があるのでそちらを参考に。