石売りで道祖神が留守になっている場面を見つけようと思ったけど、まあ見つからず
秦野市の一部で行われる「石売り」の風習によって、小正月のどんど焼きの直前には道祖神が不在になるという話をこないだ書いた。
それで、今年の目標としてこの不在にしている道祖神を見つけようと意気込んだものの、秦野市内をくるくると回っても、そのような状態になっている道祖神は見つからなかった。
秦野市内では、そこかしこに道祖神があるのだけれど、いつもと変わらない姿でいるものが殆どで、たまにどんどで燃やすであろう正月飾りを横に無造作に置かれている道祖神が見られたくらい。まあ、何も調べずに無造作に回っていたらそんなものなのかもしれない。
石売りの風習について、もう一度良く読み直してみると、秦野市の西大竹地区に2例残っているのみで、他の地区で行われるという情報はなかった。秦野市西大竹地区。地図で調べると、県道71号秦野二宮線の秦野中井インター付近の地区とのことだ。湘南軌道の大竹駅があったところらしい。
石売りの風習が始まったのは、明治時代。湘南軌道の開通も明治時代だ(ただし当時は馬車鉄道)。石を売って歩くという発想がどこから来たのか、当時の西大竹地区で車を引いて物を売り歩くというのがポピュラーだったのか。あるいは湘南軌道等の開発の都合などで道祖神をバラバラにして退けなければならなくなって、苦肉の策で行事に昇華したとか…
明治時代という比較的近い時代に始まった行事なので、その成立過程を考えるのも面白そうである。