相模国三宮比々多神社の暴れ神輿など
相模国府祭には、相模国一宮から五宮までの五社の神輿が集まるということを紹介したが、一宮から五宮まで、全てが全て同じような神輿というわけではない。もちろん相州神輿という大きな括りには含まれるのだが、その中でも各社それぞれに特徴のある神輿と担ぎ方となっている。
最も愉快なのは、なんと言っても三宮比々多神社だ。伊勢原市の西側に所在する比々多神社は、小正月に行われる伊勢原市神戸のどんど焼きで紹介した辺りにある神社だ。この地域のどんど焼きは正月飾りの次に若者が火に投げ入れられるというとんでもないものであったが、国府祭に出立の際にも、麦藁を燃やして火による禊を行うらしい。
比々多神社の神輿は暴れ神輿で、相州神輿の横手についているタンスと呼ばれる把っ手を引っ張り神輿を倒さんばかりに揺らし(実際倒れることもある)、また道中色々なところにわざとぶつかりながら進むらしい。掛け声は「やーとーさーせ よいとこりゃさーせ」。国府祭では比々多神社の神輿が倒れるたびに歓声が上がる。
ちなみに4月の例祭の神輿の暴れ具合はさらにひどいらしい。
国府祭で何故比々多神社が仲裁役になるのか
このような荒々しい神輿や氏子の姿と、国府祭において寒川神社と川匂神社の一宮争いを仲裁する冷静な役割が結びつかないのだが、単純に一宮二宮に続く三宮という立ち位置だから劇中で役割があてがわれたのだろうか。もしくは、荒々しい力をもつからこそ、仲裁も可能になるのか。
比々多神社の辺りはかつての相武国の国府があった場所の、比定地の一つであるらしい。すると一宮争いで「明年」に持ち越すよう提案しているのは、相武国側の寒川神社がとりあえず一宮であり続けられるよう利益誘導をはかっているということなのかな。
比々多神社から神揃山までの行程は道無き道だから、畑があろうが川があろうが峠があろうが気にせず突っ切っていったらしい(現在では車に乗せて移動)。そんなんで比々多神社の暴れ神輿が荒らしていった後の畑は豊作になると言われていたとか。