大磯町はサフラン栽培発祥の地とか
イロイロなものの発祥の地である大磯町。海水浴、落花生、左義長…それに加えて、日本でのサフランの栽培発祥の地でもあると、つい最近知った。そういえば、大磯町のゆるキャラいそべぇもFacebookでサフランを育てていたような…
大磯町がサフラン栽培発祥の地と言われる所以
日本にサフランが入ってきたのは、江戸時代。最初は漢方の薬として渡来したようだ。鎮痛作用、鎮静作用、その他婦人病などに効くとされていた。
香辛料や生薬のサフランとして出回っているのは、サフランの花のめしべの、糸状になっている部分のごく一部(柱頭)を乾燥させたものであり、したがってわずかな量を得るにも大変多くの個体が必要ということで、今も昔も高価である(100輪の花から1gが取れるという)。母親がサフランを薬として服用していたという大磯町(旧国府村)の添田辰五郎という人物が、それならば国内で栽培化できないだろうかと思い立ち、球根5個を5円で輸入、明治19年(1886年)から栽培化に着手した。
色々あって、安定した栽培化を確認できたのは明治29年(1896年)になってから。辰五郎は球根の販売を始め、国内での栽培が始まった。
現在では大磯町はサフラン産地ではない
現在国内で生産・出荷されているサフランは、大分県竹田市のものがほとんどであるようだ。大磯町では生産・出荷しておらず、添田辰五郎のサフラン栽培は途絶えてしまっているのだが、竹田市の球根は辰五郎から購入したものだという記録が残っている。竹田市では明治36年から稲作の裏作としてサフランを栽培しており、春に根が出た球根を土蔵の中に取り込み、室内の湿気を吸わせて秋に開花させるという独特の方法を使っているらしい。
農家1軒当たりの生産量は50g〜100gとか
サフラン 日本国産(大分県) 1g |
日本初のサフラン栽培が、きっと後世のゆるキャラのカラーリングにも影響を与えたのだろう。サフランライスをアオバトのカラーリングと絡めて、大磯町のB級グルメにもできそうな感じだ。