大山から鶴巻温泉への直通バスに落幡村伊勢原市編入の未来を妄想するとか
前回エントリのおさらい。秦野市にある重要な観光資産鶴巻温泉は、首都圏近郊にある温泉で駅チカの公衆温泉施設があるにも関わらず、あまり上手い形でのPRがされてこなかった。けれどもここのところは温泉をPRする設備など投資が増えてきて、さらに鶴巻温泉の地元発で名物"行者おむすび"が登場するなど、観光地として一皮むけるよう頑張っているように見える。その上この11月からは休祝日に隣の伊勢原市の観光資産大山から鶴巻温泉に直通するバスが実証運行されるようになっている。突然どうしちゃったのと思うくらいのやる気の出し方。これはきっと背後に大きな陰謀が隠されているに違いない!という体!
まさかの落幡村分離工作(妄想)
今回の直通バス運行の手際の良さ、一見すると秦野市がこれまでの鶴巻温泉PRの不足を改め、隣の伊勢原市から宿泊利用客をくすねてやろうという英断にたどり着いたニュースのように見える。だが実際のところは伊勢原市側が鶴巻温泉の辺り(現住所鶴巻/旧村名落幡村)と手を結び、市内の観光地大山と鶴巻温泉を経済的に切り離し難い関係にすることで、伊勢原市側に不自然に突き出た秦野市域、落幡村部分を切り離し観光資産ごと自領に組み込もうとする分離工作が動いているのではないだろうか。
そうした観点で見てみると、直通バス出発時のイベントとして日向薬師の山伏による登山安全祈願がされるのも、大山同様伊勢原市にある日向薬師と鶴巻温泉を結びつける行為である…そして鶴巻温泉新名物の"行者おむすび"については、秦野市産というよりは主に鶴巻の狭い範囲産の原料を使って作っており、名称も含めていつでも伊勢原市名物に寝返ることのできる周到さである。これは、遠くない未来に落幡村が秦野市を抜ける未来があるのかも。
そもそもかなり伊勢原的?であった落幡村
ただの妄想を、歴史的経緯などで補完してみる。落幡村はかつて周辺の5村(落幡・真田・南矢名・北矢名・下大槻)とまとまって大根村を形成していたが、1955年3月にその内の真田村が分離して現平塚市域にあたる金目村に参加してしまった結果、長い物には巻かれとこう的に当時近隣で唯一市制を施行していた秦野市に大根村ごと編入されたようだ(1955年4月)。編入時の秦野市はたばこ栽培でブイブイ言わせており、経済的に強者であったという事情もあり秦野市側に参加したが、落幡村は秦野盆地の東の外側に位置するという点で伊勢原市により近く、また伊勢原市内にある相模国三ノ宮比々多神社の神輿がかつて国府祭に向かった際のルートに落幡村があるなど関係が深い。秦野市のたばこ栽培が終わり伊勢原市も市制を施行した現状、落幡村が秦野市と伊勢原市のどちらに帰属したがっているのか、非常に不透明な状態なのではなかろうか!
…と、妄想を語ったが、多分そんな陰謀は存在しないと信じたい。なにしろ落幡村が鶴巻温泉ごと伊勢原市になってしまうと、弘法の里湯の市内在住者割引が受けられなくなって困る。困る。どうせなら秦野市の政治力で、逆に大山阿夫利神社あたりまで市域に引き込んでしまって欲しい。ゆるキャラのクルリンもこれによって吸収。これにて秦野市民はみなハッピーになるね。