水無月だし水無川について書く
秦野駅の北を、秦野という街を象徴するかのように流れる水無川。水無川という名前は一県矛盾しているように聞こえるが、全国的に割と良くある名前だったりする。盆地などで地表を流れる川が一旦途切れて伏流化する場合にこう言った名前が付けられるそうだ。社会科で習ったような気もする。
水無川は、秦野市内で完結している。丹沢の山奥に源流があって、盆地までは南に向かって流れる。盆地に入ってからは小田急線と並走するように東に流れを変え、その後金目川に合流する。金目川はマイナーだが相模湾まで達する河川で、平塚市(というより大磯付近)の河口では花水川と呼ばれる。
水無川からなんで水が無くなったかについては、弘法大師の怒りを買ったという話がある。全国にこういった説話は星の数ほどあるのだが、秦野人なら本当に怒りを買いかねないというところで信憑性が高い。きっと弘法大師は相模ナンバーだった。大師「人をナンバープレートで判断するなんてけしからん!」ということで、水を止めやがった。この話、結構陰湿だよね。
弘法については、弘法山という山も秦野市内にある。弘法大使が修行を行ったという伝説があるが、標高235m程度の山で修行を行った弘法大師だから、ホントに些細なことで腹を立てて水を止めてしまうほどの器量なのだろう。
大師様には慈悲の心をもって弘法の里湯をもっと安くしてほしい。