秦野市西大竹の「石売り」は、大磯左義長の「一番息子」と繋がるのかな
秦野市西大竹という地区で行われる、「石売り」という道祖神行事。道祖神をバラバラにしてリヤカーに乗せ、子供達が売り歩く珍しい行事であると紹介した。その行事は明治時代に発生したらしいのだが、リヤカーで売り歩くというところに非常に現代的側面を感じたものだから、秦野二宮線に湘南軌道が通るなど、明治の開発もたけなわなる時代のもたらした合理的産物の行事だと推測していた。
でも、少し見方を変えると、この行事と同じく道祖神を引き回し各家庭からの寄付を募るという行事が、中郡や秦野市に多く残っている。それが、「一番息子」という行事だ。
「一番息子」は、小正月のセエトバライとセットの行事だ。一番有名なセエトバライである、大磯の左義長を例に説明すると、セエトバライの行われる1月14日から遡る事1ヶ月程前の12月8日、普段道祖神の周囲に無造作に置かれている「ゴロ石」と呼ばれる石に紐をつけて、子供達が集落を練り歩く。「一番息子」では、未婚の若者の家の前まで行き、「○○さんに良いお嫁さんが来ますように」と叫ぶ。この時に、同時に各戸から寄付を集めるという。
この「ゴロ石」というのは、どうもかつての五輪塔の一部分であったらしく、「ゴリン石」が「ゴロ石」になったという説がある。つまりかつては信仰の対象であった石造物のなれのはてだ。
とは言え、かつてあった形を保っていない「ゴロ石」なれども、廃棄してしまう事も畏れ多い。そこで、道祖神の行事で役割を持たせるようにしたのではないかと思う。地域によってこの「ゴロ石」を、どんど焼きの火の中に投げ込んだりなどもするらしいので、基本的に乱暴な扱いをされるのは既定路線のようだけれど。
さて、「石売り」と「一番息子」は、子供達によって集落を引き回され、各戸から寄付金を集めるというところで共通している。一方、相違点としては行事が行われるタイミングで、「石売り」は小正月の直前、「一番息子」は1ヶ月前となっている。また、「石売り」では寄付の対価として道祖神自体が引き取られ、小正月の後まで不在になってしまうという点でも異なる。
それでも、「石売り」が「一番息子」の派生ではないかと思うのは、たまたま秦野市西大竹の「ゴロ石」が、引き回すのに都合の悪い、転がりにくい形をしていたもので、リヤカーに乗せてみたというところから行事が発生しているのではないかと推測できるからだ。大磯の場合などでは、実際の五輪塔とは別に、転がり易いゴロ石を別口で用意して行事に使っているみたいだけれど。